否が応でも独立!

ゴルフ場に出向を命じられ

 

毎日毎日僕らは鉄板の~♪

う~えで焼かれて やになっちゃうよ♪

 taiyaki

 

とは違いますが毎日ゴルフのバッグ運び。

 

 

自分が牛や馬になったような気分でした。

 ushi

画像引用先:https://goo.gl/ESv9iu

↑多分、この牛の方が大切にされていると思う・・・

 

 

 

そんなある日、ゴルフのカートの整理中に

ゴルフのカートが暴走しお客様に激突!

 

自動停止機能が付いているはずなのに

その時だけは止まりませんでした。

th_golf_ca_005

そしてそこお客様は脳内出血を起こして

入院・手術をすることに・・・

 

 

 

誰も私を責めず

ロクに教えもしなくて嫌な思いをさせて申し訳ない(マスター室長)

あれは君の責任ではない(専務)

と言ってはくれていたものの

 

 

やはり人に大怪我させてしまった一因は私にあるので

どうにも心苦しい・・・

 

 

という訳でこれも

もういい加減独立して頑張れ!

という神様からのメッセージかな?

と受け取ることにしました。

 

また、その入院された方も

職員が責任を感じて辞職したと聞けば

多少なりと気が済むかも?!とも思いました。

 

やはり自分の責任じゃないと言ってくれても

例え無罪だとしても、

誰かが責任を取る社会であった方が

望ましいと思います。

 

という訳で東洋観光事業さんにも

お世話になりましたが辞職させて頂きました。

 

そして、もう以前から

設計事務所として独立したいけれど

いきなりやっても何の仕事も来ないよね

 

 

だから便利屋をやりながら

コツコツ工事の実績を作っていくしかないよね?!

 

と考えていたので、

無料ブログで便利屋のサイトを立ち上げ始めました。

 

とはいうものの、

最初は便利屋の仕事すら来るはずはないので

失業手当をもらいたいと考えました。

 

自分が払い込んだ分は頂いても

それはOKでしょ?!

 

ということで、ちょうどハローワークの関係で

ホームヘルパー2級の講座を受講すれば

すぐに失業手当を頂けることを発見!

 

すぐに申し込んでヘルパー講座の

受講試験を受けました。

 

私は成績も悪くないし、

(というかどちらかというとかなり良い)

いつもニコニコ笑顔で面接もバッチリだし

こういった試験はまず合格します。

 

ですがどういった訳か1回目の試験は

落ちてしまいました。

 

何でかな?と思いながら2回目の試験を受験。

 

今度は無事合格しヘルパー講座の受講となりました。

 017-01

 

ここでヘルパーの講座を受けながら

諏訪商工会議所の開催していた

創業塾 も受講。

 

講師は水野元気さん((株)情熱)でした。

 

 

※今になって思うけれど、

 この人は熱く語れますが

 企業のコンサルティングの能力はあまりありません。

 

 

 でも士気をあげるのには効果的な

 なかなか良いキャラです。

 

 

 

その講義のなかで自分の能力の掘り起こしや

企業理念の設立などを構築して、それを

5人以上の人に話しなさいという宿題がありました。

 

そこで私は企業の理念をまとめて

ヘルパーの講座で5人に話しました。

 

 

要は

私は神様の代理人で手足の一つです。

 

 

ですから

・お金を稼いでご飯が食べられない方に食料を届けたり

 

・教育を受けられない方の為に学校を作ったり

 

・医療を受けられない方の為に

 医師や医薬品・病院を提供したり

 

・仕事の無くて貧しいから犯罪をしてしまうので

 工場を造って雇用を提供したり

 

そんな活動をして、神様に喜んで頂きたい。

 

その為に私はお金持ちにならなければならない。

 

そのお金持ちになる為にお仕事も

うまくいかなかればならない。

 

そのお仕事は人の困っていることを

解決する仕事だ。

 

と話していたら聞いていた一人の方が

 

私がその神だ!

と言い出したのだ。

その時、私がどんな態度をとったと思いますか?

        ・

        ・

        ・

        ・

        ・

        ・

        ・

おー!神よ!

と言って拝謁しました(*´∀`*)

 

嘘で言ったのなら八つ裂きにするつもりでした(嘘)

 

それは冗談として

 

誰も他人を罰する権限はない

ただ神のみがその権限を有する

 

という言葉が頭にあったので

まぁ、嘘でも仕方がないな

とは思いました。

 

まぁ、そんなエピソードがありながらも

無事、ヘルパー講座を修了!

 

お陰でアメブロで作っていた

サイトも充実してきましたし

ちょっとだけですが失業保険も頂けましたので

まぁ、準備はこれでOK!

 

という訳で正式独立となった訳です。

 

これが2012年3月18日のことでした。

 

 

 

 

 

駒ケ根の設計事務所で修行 ~ 別荘管理時会社へ

その後、今度は駒ケ根の

BO〇建〇設〇室

という会社に弟子入りができた。

 

ここでは私に期待されたのは

ブラック会社で培われた飛び込みなどの営業などでの成果。

 

とりあえず4件(5件だっけ)の住宅建築のお客様を繋いだので

計算してみると、1億5千万円くらいの売り上げには

貢献したことになるのかな?

 

それでも建築設計の実務的なことが勉強できれば良いかな?

と思ていたのだが、どうもそうでもない。

 

結局、どうもこれは設計事務所という物自体が

一般住宅を建てる為の建築実務

というものに必要ではなさそうな気がしてきた。

 

何故って、技術的な部分が結構弱かったんです。

 

私が大工の実習や専門学校で

先生や講師を質問攻めにした以下のことは知っていたけれど

 

この設計事務所の先生は私が本気で技術面のことを質問攻めにしたら

たぶん、答えられなかった、と思う。

 

実感として、設計事務所っていうのは

ビルや大型施設などを造るには必要かもしれないけど

そうでなきゃ無用だな。

 

大工の経験もなく一般住宅しか設計していない設計事務所?

 

・・・?

 

じゃぁ、一体何を知っているのさ?

 

デザインの事務所としては結構だけど、

建築には必要ないよね~。

 

と、これが私が2つの設計事務所を渡り歩いた結論となった。

 

そこでいい加減、建築業界が如何に心の貧しい業界化を知り

また建築業界の修行も気が済んできたので、

今度は庭の方の勉強をすることにした。

 

庭って言っても何かといえば

”花”

 

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まずは試しに北杜市にある長谷川園芸という農家さんに行って

花の世話をさせて頂いた。

 

 

ここで水やりや植え替えの初歩を教えて頂きました。

 

とはいうものの、

花の世話のアルバイトも所詮は夏だけの仕事。

 

秋になってくれば花の数も減ってくるし

9月中旬で必要もなくなってくるので

アルバイト終了。

 

そこで今度は宅地建物取引主任者の資格も持っていることだし

建築の仕事もとうぜんある

別荘の管理会社で不動産の勉強をしてみようと思った。

 

どうせ建築には土地の知識も必要だし

私が最初から憧れていたのは

ハウスメーカーが作る様な家じゃなくて

別荘地にあるような住宅だし。

 

そこで選んだのがアルピコグループの

蓼科の東洋観光株式会社。

 

面接に行ったら即、採用!

 

不動産事業部で勤務することになった。

 

採用してくれた専務や副部長や資格をいっぱい持っているし

会社の中核にしたい

と思ったらしい。

 

私は最終的には独立しか考えていなかったけれど

ここで厚遇して頂いたのは嬉しかった・・・

 

特にこの時に上司だった小松部長や伊藤副部長は

結構気を使ってくれてありがたかった。

 

そして半年したら原村の四季の森の管理事務所に転勤。

 

上司二人がとても気を使って下さった結果だった。

 

そこで不動産取引の重要事項説明書の作り方や

実際の不動産事務を勉強させて頂きながら

別荘地の管理をしてみた。

 

昔から別荘地自体に憧れも持っていたし

けっこう楽しい時間だった。

 

けれど東洋観光事業という会社自体が

アルピコグループという会社に買収された会社で、

実質的には幾ら収益をあげても

上に吸い上げられるだけの仕組みのようになっていた。

 

だから、東洋観光事業という会社もドンドン人員整理していた。

 

そして東洋観光事業の一部門であるゴルフ場も

人が減らされていて、遂には

私が夏の3か月間、蓼科高原カントリークラブに応援に行くことになった。

 

何をやったかというと毎日、

カートにゴルフバックを載せたり降ろしたり

カートの手配をしたり

そんなことだった。

 

あれ?

これじゃ、今まで勉強して修行してきたことが

まるで役に立たないじゃん!?

 

そう思ったけれど、それまでに

小松部長や伊藤副部長にお世話になっているし

まぁ、応援だから

そう思って頑張った。

 

ところがそんなある日に事件発生しちゃいました。

 

つづく

 

 

 

モクハウスで見習い ~ 二級建築士合格 ~ 念願の設計事務所での修行へ

下請け根性丸出しの会社の会社を飛び出して

さて、どうしようかな?

 

と思っていたら、前のブラック企業で働いていた時に

お知り合いになった社長さんから

 

知り合いの会社の常務がキミに興味を持っている

とのことで面接を受けることになった。

 

その会社が富士見町に在った

モクハウス

という会社だった。

※今はもう倒産してありません。

 

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※モクハウスが手掛けた山荘です↑

 

早い話が、そこの専務さんが

私が宅建をはじめ多くの資格を持所ているのを知り、

利用し倒そうと思ってくれたわけだ。

 

 

最初はどうもよからぬ動機で動いていそうだな、と思っていたが、

接しているうちに私のことも非常に気にかけてくれる様に変わってきて

私のことを”子分”と呼んで

色々なことを教えてくれた。

 

倒産寸前な会社だったし、

見習いで給料も貰わなかったので

1か月ほどしたら飛び出しちゃったけど

ここで勉強したことが今もとても役に立っている。

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この時点で私としては

自分の実績の少なさを何よりも自覚しているので

とにかく一度でいいから設計事務所で働いてみたい

そう思っていたのだ。

 

ただ、この時教えて頂いた

営業の知識や

見積り

などのノウハウはとても貴重なものだった。

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足を向けて眠れない

とはこのことだと思っています。

 

・辰野町の春日電機さんの工場に出入りさせて頂いたこと

・小淵沢のジャム工房とりはた

・塩尻市での駐車場工事

・諏訪でのリフォーム工事

・塩尻市の一般住宅のキッチンリフォーム工事

 

色々な所に連れて回っていただいて、とても勉強になった。

 

そうこうしているうちに建築士試験の2次試験。

 

そろそろ本格的に就職しなきゃ!

と思っていたら、山梨圏の甲府市にある

エ〇マック という土木系の設計会社に就職が決まった。

 

またもや自宅から毎日1時間以上の時間を掛けての

通勤の日々となってしまったが

それでも建築設計を学べるとなったら迷いはありません!

 

この設計事務所が

取敢えずは土木の設計が大部分だが

これからは建築の仕事もとっていきたい

という意向で私も就職をしました。

 

けれど3か月の試用期間を過ぎても

結局、土木の仕事ばかり・・・

 

前田建設とどこかのジョイントベンチャーが国から請けた

リニアのトンネルを掘る為の許認可をとる仕事や

熊本果実連の工場の敷地造成の許認可など

 

それでも設計らしき仕事をできたことは

ありがたかった。

 

ところが試用期間の3か月に入る始めたころ、社長の方、

土木の仕事は取れるけど建築の仕事はなかなか取れない

それでも良かったらウチでこのまま働いてもらっていいけど・・・

と言い出した。

 

別にハローワークの規定とかはどうでも良いけど

一応”3か月の試用期間”と謳ったからには

それ以前に辞めさせたら、それって不味くない?

とも思ったが建築の勉強になりそうもなかったし、さっそく退社。

 

社長も私が元公務員などで

そこから天下りの仕事を取れる、と

期待していたらしい。

 

ちなみに社長の言語録を紹介すると

 

国という甘い蜜を垂らす大木があるんですよ~。

 

その大木に色んな会社や業者や役人がむしゃぶりついているんですよね~。

 

だから、そのどこかちょっとでも空いている部分にむしゃぶりつければ

甘い汁が吸えるという訳なんですよ~。

 

だそうです。

 

この言葉を聞いて私は

この社長とは無理!

そう思ったのもあって、さっさと辞めました。

 

国が大借金で苦しんでいる時に

何を言っているんだ!?

というのが私の感覚。

 

もっともお金儲けのことしか考えない会社は

この社長と全く同じ考え方なんでしょうね。

 

ちなみにその会社がこちらの会社↓

http://www.ecomac.co.jp/

 

まぁ、技術士も持っている社長ですから

何か依頼したい方は利用してやってください。

 

ともあれ、この会社にいたおかげで

オートCADの扱いを多少なりと覚えることができた。

 

つづく

 

土木&設備の会社でアルバイト 伊那市

アホな会社は退職届を叩きつけて辞めてやったけど

まだ、2級建築士の資格が取れていないので

すぐにどのかに就職する気も無かった。

 

そうこうしていたら、辞めたブラック会社で

アルバイトしていた女性から電話が来た。

 

その女性が以前、アルバイトしていた会社で

誰か良い人ないかな、

と人材を求めていたらしい。

 

そこで私に話が来た訳です。

 

どうせ2級建築士合格まで

アルバイトでもしながら勉強しようかな

と思っていたので渡りに船。

 

先方が早速会いたいというので面接に行くと

気に入られたようで

いきなり作業着を渡された。

 

いや、社員になるつもりじゃないんですけど

と言っても、向こうは何としても社員にしたい感じ。

 

2級建築士の資格はまだでも

私が、宅地建物取引主任者や

福祉環境住宅コーディネーターや

インテリアコーディネーター など

多くの資格を持っていたので何としても社員にしたかったらしい。

 

何でも、

不動産の関係の仕事にも手を出したいし

大勢の社員を雇うより、優秀な社員で少数精鋭にしたい

と言ってた。

 

ただ私としては、

家を作る建築会社か設計事務所で修行をしたい

というのがあくまで希望であり

こういわれても迷惑。

 

丁重にお断りして

アルバイトということで働くことになりました。

 

実はこの時に、

あと1週間で会社を辞める、という大きな体の男性がおり

その方がゲン(源)さんだった。

 

ゲンさんは社長が言葉と行動が一致しなくて

面倒事は全部自分に持って来られるのと

 

奥さんの実家で暮らしていたけれど

その義父が林業を始めるので専務として働いて欲しい、と言われ

その土木&設備の会社を辞めることになっていた。

 

つまり、ゲンさんとは1週間しか一緒に働けなかった訳ですが

お互いに妙に惹かれるものがあった。

 

さて、ゲンさんは1週間経ったら、あっさり居なくなったものの

私はその後もアルバイト生活。

 

最初は、パソコンの事務ができる人が少ないので

そこを手伝って欲しい

という話だった筈が、現場にも応援で駆り出されるようになってきた。

 

もともと消防士として(ちょっと意味は違うけれど)現場の人間だし

大工の実習など現場で実習することも多かったので

現場で働くこと自体は嫌いではない。

 

ただ、

今日は、あの書類をまとめて〇〇と〇〇をして

と自分の中の段取りを立てて出社して

 

現場で応援に来てくれ~

ということで突然現場作業に変更になると

 

いい加減にしてくれ

こっちは所詮アルバイトの時給1000円だぞ!?

と思う。

 

そんなこんなで、1か月もいたら

そろそろ2級建築士の学科試験が迫ってきたので

辞めさせて頂く。

 

社長は、少しでもお金を払いたくないので

給料を誤魔化してあった。

 

お世話になったけど

お金のことがちゃんとできない会社では

これからお付き合いはできないな

と勉強になった。

 

なお、今、私が運営している

Atelier Bouffier(アトリエ ブフィエ)では

一切、下請け仕事をしていない。

 

なぜか?というと

この会社にいた時の経験が大きな要因となっている。

 

この会社は下請け根性丸出しの会社で

元請け会社から安い下請け仕事をもらって

スネに疵がある様な人材を集めて

安く人件費を叩いて利益を出していた。

 

そんな会社なので、いつも元請けの顔色を窺っていた。

 

ある日、元請け会社が電話をしてきた。

 

〇〇の工事、もっと安くできるだろ!?

ネット価格(原価)はいくらだ!?

 

と聞いてきた。

 

それに対応した事務の責任者(社長の愛人)が

 

(提出した)それがネット価格ですーーー!

と悲痛な対応をしていた。

 

以前のブラック企業の下請け叩きも

とても見ちゃいられんものだったが

 

この下請け根性丸出しの会社の

囲われ者の主人の言いなりのプライドの無さも

とても見ちゃいられないものだった。

 

下請け仕事も時には有りかもしれんけど

人間のプライドを失うようじゃ論外だよね。

 

と勉強させて頂きました。

 

つづく

 

 

 

有限会社〇ーすほーむ へ入社 伊那市

学校を卒業するものの、

いい歳をしているので就職活動は難しい・・・

 

設計事務所では相手にもされない。

 

資格があっても実務経験が無いので

建築会社でも相手にしてもらえない。

 

そんな時に、伊那で不動産系の建築会社を見つけた。

 

現場監督や設計士は募集していないけれど

事務員は募集していた。

 

まだ、建築士も取れていないし

ここで事務をしながら勉強させてもらおうかな

 

そう思って入社してみた。

 

ところがここがとんでもないブラック企業だった。

 

給料は155,000円/月

30時間までの残業手当含む

 

という待遇だった。

 

私は、今までは公務員だったし、

民間企業の厳しさの中でも建築の実務がどういうものか勉強しなきゃ!

と思って、それでも就職した。

 

場所は伊那インターチェンジ近くなので

自宅から自動車で1時間少々の距離。

 

田舎での通勤距離としては大分遠い部類ではあったが

東京の方は通勤で1時間~は普通だから

そんなもんかな、と思った。

 

福利厚生に期待していた訳でもなかったけど

ハローワークの求人広告には

昨年までの実績では社員旅行でグアム(サイパンだったかな?)に行っています。

 

など、経営が好調そうなことをうたってあったので、

とりあえず会社として大丈夫かな?と思った。

 

実際は、超赤字みたいで

3日に一度は銀行がパソコンを覗きに来ていた。

 

一度、資金前渡で私が3万円分ほどのお金を出すと、

そのお金は給料日ギリギリまで返ってくることはなかった・・・

 

※お金が返ってきてホントに良かった。

 

仕事は9時からだけれど、8:30から掃除や朝礼が始まるので

通勤ラッシュと最低でも10分前には会社に着いておきたいことを考慮すると

自宅は遅くても6:50までには出なくてはならない。

 

そして夜は18時頃には仕事が終了の筈だが

どういう訳か、その時間になると

”追客”

という営業の電話を掛けさせられる。

 

今までの住宅完成展示会で

ゲットしてきた名簿に端から電話して回るという作業だった。

 

普通に考えて、電話される方にしてみたら

迷惑以外の何物でもない、と思う。

 

その疑問への社長の答えは、

 

100人のお客様に嫌われても

私たちの建てる家はその中の一人を

確実に幸せにする。

 

だから、その一人を救う為に電話するのよ!

 

だった。

 

馬鹿馬鹿しかったがテキトーに電話していると

どういう訳か、家の増築のご相談を取れてしまった。

 

まぁ、それは余談として

 

その追客の電話が夜9時頃まで続き

※絶対に相手に迷惑だ。

 

その後、その日の営業記録をまとめて

帰りは夜11時頃。

 

自宅に帰れば深夜0時過ぎ。

 

そもそも事務員として入社したはずが

名刺には”営業”とあるし、

アホな迷惑電話をさせられるし。

 

社で管理しているアパートの部屋に45,000円で入居するように迫られ

 

オイオイ

155,000円の給料で45,000円のアパート代を払え?

しかも社の援助は無しかい?

 

普通は、会社でアパートを用意してくれて

社員には1万円だけ負担してね、とか

半分負担するんだよ

とか、そういうんじゃないの?

 

奴隷じゃないんだけど・・・!?

 

という状況だったので、

最初の給料をもらったら

その場で退職届を叩きつけて辞めさせて頂いちゃいました。

 

去る私の背後で何やらガタガタ言っていた様だったのですが

当然、完全無視。

 

 

夕方からの弁和での追客営業をさせられるにあたって、

残業手当の取り扱いの問題で、

何かおかしいな? と思うことがったので、

入社した際に説明をしてくれた社会保険労務事務所の方に相談してみた。

 

社会保険労務士事務所の方は

まだ、(指導を何度もしたにも関わらず)そんなやり方をしているのか!

と言っていた。

 

人様の迷惑になる仕事で

社会保険労務士から注意を受ける様な会社で働いたことは

元公務員の私としては社会勉強になったな、とは思う。

 

こういう会社もあるんだな・・・

こういう社会やこういうところで甘んじる人もいるんだな

と初めて知った。

 

つづく

 

 

 

大阪の建築士の学校~伊那の春

技術専門校を修了した後、

大阪の専門学校に入校して若い子たちと机を並べて

勉強することになった。

DSCF2373

若い子たちは、気楽に勉強して

アルバイトして、遅刻して

彼氏彼女を作って気楽な学生生活(だっとと思う)。

 

けれどこっちは、

公務員を辞めて人生の再スタートの為の

即戦力になりうる実力を蓄えなければならない。

 

自然と意気込みも変わってくる。

 

しかも、人生経験に加え、私は消防学校で

筋肉隆々の救助科の生徒を指導した経験があるので

何を喋っても説得力が桁外れに違う。

 

ホントに桁外れに違った。

 

隣の席の子には

長野県民は県民性が理屈っぽい

と揶揄されたがこっちはそれどころじゃない。

 

2級建築士の受験資格は、

専門学校卒業後に初めて発生し

在学中は受験することもできない。

 

しかし、卒業したら当然どこかで働いている訳で

勉強時間が取れる可能性はかなり低い。

 

ということは、卒業した後に働きながらでも余裕で

2級建築士試験に合格できる実力を持っておきたかった。

 

もちろん、2級建築士だけでは就職に不足。

 

こっちの目的は独立開業ではあるものの

何の経験も無くいきなり独立するほど

世間は甘くない。

 

だからこの時点での私の考えでは

卒業後、4~6年程度はどこかの会社で働いて

やり方を全て盗んでから独立しよう!

というものだった。

 

だから、とりあえずどこかの会社に履歴書を送った時に

興味を持ってもらえるだけのものを持っておきたかった。

 

そこで

・宅地建物取引主任

・インテリアコーディネーター

・2級エクステリアプランナー

・2級リビングスタイリスト

・福祉住環境コーディネーター2級

・健康住宅アドヴァイザー

・建築CAD検定3級

・2級ワープロ技士

・3級表計算士

の資格を取ってみた。

 

建築の事は勉強中で、さらに

私には救急隊員としての知識もあるので

福祉住環境コーディネーター2級の資格も

無事に取ることができた。

 

また、ワープロ技士や表計算士は

実際に現役で事務に使っていたスキルなので

何の問題も無かった。

 

宅地建物取引主任者も役場で

開発区域や都市計画など

聞き馴れた単語ばかりの内容だったので

50門中42点で合格できた。

 

※普通は50門中33~34点が合格ラインらしい。

 

何せ、こっちはいい歳して

年老いた両親を田舎に残し

背水の陣で勉強しているので勢いが違う!

外観2

 

↑私は木造住宅を目標としていて

鉄骨住宅にはあまり興味はなかったのですが、

せっかくの機会なので鉄骨住宅も勉強してみた。

 

まぁ、これくらいやったので、

そろそろ机の上の勉強にも満足してきたので

どこかの会社に就職しようと思った。

 

そうして探したら伊那インター近くのに

有限会社 あーすほーむ

という不動産系の住宅会社が事務員を募集していたの見つけた。

 

まぁ、まだ2級建築士もまだとってないし、

ギリギリ家から通える範囲だからいいか?

と思って入ってみた。

 

ところが入社してみると肩書が”営業”。

 

???

 

おかしいな、と思いながら社長の命令通りに

頑張って働いてみた。

 

しかし、働いているうちにどうもここは結構ブラックな会社で、

それで職員の入れ替わりが激しいことが判明。

 

どうもお客さんが社長の悪口を言って

「あの女に騙された!」

という評判を耳にするはずだ・・・と思った。

 

毎日7時前には家を出て

自動車で1時間少々かけて通い、

夜は6時を過ぎると”追客”という迷惑電話をさせられ

帰ると12時頃。

 

しかも、会社で管理しているアパートに

住宅火災報知機をつけるから買ってこいと言われ、

自費で購入してきてもなかなか精算してくれない。

 

なぜ?と思ったら

倒産寸前でお金が無かったらしい。

 

どうも銀行の職員っぽい人が

週に2回も3回も来てパソコンを覗いていると思った。

 

せっかく建築の勉強をしてきたのに

全く関係の無い仕事ばかりで

社長が嘘つきという事もわかったので

1か月で逃げる様に退社。

 

せめて働いた分のお金は払おうよね~。

 

雇われているこっちが

社会保険労務士法人田畑事務所さんに

相談に行くようじゃダメでしょ?

 

というのが専門学校を卒業した春の出来事でした。

 

つづく

 

 

半年間引きこもり

カナダ、フィリピンから帰ってきて

大工の専門校に行く前までの間、

家で引き籠ってゲーム三昧の日々を過ごしていた。

 

別に誰かに強制されたわけでもなく

両親もさすがに何も言わなかった。

 

ただ、そうやって引きも籠っていると

なにやら人恋しい気持ちが生まれてきた。

 

だから今でも人に会えただけで何やら

顔が勝手に笑顔になる。

 

もちろん、他の理由として、

外国は笑顔(スマイル)をとても大事にしていて

それに影響されたこともある。

 

外国では人と会ったら

スマイルを浮かべるのが当たり前で

それが”私は敵じゃないのよ”という

合図という意味もあるらしい。

 

また、日本にもそういう伝統があって

女今川 という江戸時代の女性の教育の本に

「人が来る時、我不機嫌に任せ、怒りをうつし無礼の事」

とあります。

 

これは

自分が機嫌が悪くても、人が来た時に

その機嫌の悪さを表すのは相手に失礼ですよ

という意味。

 

もちろん、女今川という女性の教育向けの本の話ではありますが

だからと言って、男だから不機嫌のままで良いかと言えば

そうは思えない。

 

ということも前からしてちたこともあって

また、引きこもりで他人さみしくなったこともあり

自然と笑顔が出るようになっていました。

 

さて、とはいうものの

無職で何もする気が無いままで

そろそろ何かして

前に進まないといけない。

 

そう考えていた時に、叔父が大工で、

子供の時に我が家を建ててくれた記憶がよみがえった。

 

他に花づくりの勉強に造園の勉強をしたいな

とか

前から関心のあった理学療法士にでもなろうか?

とか考えもした。

 

けれど、建築が一番面白そうだったので

まずは職業訓練校に行って

建築大工を勉強することにした。

 

というのが、カナダ、フィリピンから帰ってきてからの出来事。

ちょっと端折りすぎたので書いてみました。

 

大工の学校では

森寿尋という先生が教えて下さいました。

ブログ用

先生は既に60歳を過ぎて定年した後でしたが

再雇用なのか嘱託なのか、学校で指導していた。

 

どういう経過で大工技術を持っているかというと

昔、丁稚で大工修行をして、その後は

建築会社に就職し働いていたけど

県職にお誘いがあって転職したらしい。

 

以後40数年教えていたらしく、教え子がかなりいるらしい。

 

当然、年齢からいっても長い年数なので

中にはとっくに工務店の社長になって

会社を経営している方もおられるとのことでした。

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※先生の自宅でみんなで実習中↑

 

このご自宅の増築中には結構

先生のお嬢さんにお茶菓子を差し入れして頂き

嬉しかったなぁ^^

 

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

後から考えてもこの1年は輝いていたな。

本当に楽しかった。

 

ついでにこの期間に

取れる資格は全てとっておこうと決めていた。

 

というのは、もう誰かの下で働くのが嫌で

今度は絶対に自分が独立して開業すると決めていた。

 

だけどそれだけに、最後には自分だけが頼り。

 

工事が間に合わなかったり

トラブルがあった時には

責任者が何とあしなければいけない。

 

徹夜作業で作業員がつかまらない

という状況でも自分ができれば何とかなる。

 

下請けに手抜き工事をされても

「嫌ならやらんでいいわ!

後は俺がやるからいい!その代わり金も払わんで!」

という位の事は言えないといけないと思った。

 

だから、

・大型特殊免許

・フォークリフト

・クレーンデリック運転士(クレーン限定)

・移動式クレーン運転士

・アーク溶接

・ガス溶接

・バックホウの運転講習

※正確には、車両系建設機械(整地・運搬・積み込み用及び掘削用)運転技能講習修了

などの資格を取っておいた。

 

資格さえあれば良いってものでもないけど

逆に、どんなに腕が善くても

資格が無ければダメってこともある。

 

当然、職業訓練校に通いながら

これだけ資格を取る人は私だけでした。

 

他の方は、雇用保険を貰いながら

もうちょっと伸び伸びやっていたと思う。

 

そして、最後の締めくくりに

・二級大工技能士

の資格を取った。

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これで大工の勉強も一区切り。

やるだけやって成果も出せたので満足!

 

つづく

 

 

カナダ~フィリピンへ

とはいうものの、まだ心の中は整理しきれたわけでは無い。

 

日本にそのままいたのではいつ気が変わって

別れた妻や裁判所の人間を惨殺したくて

人殺しをするかわからない・・・

 

という程、頭に来ていたので

もう仕事も辞めて海外を旅することにした。

 

こうすればちょっと殺意が込み上げたくらいでは

簡単に帰ってこれない。

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私は高校を卒業してからずっと地方公務員だったので

もちろん惜しくはあったけれど、

殺人をして、家族に迷惑を掛けて、刑務所に入ってしまうよりは

よっぽど良いだろう、と考えた。

 

今でも上分別であったと思う。

 

私がしたくてした訳では無いのだが

私の部署ではもっともエリート街道を進んでいたらしい。

※↑と本部の人が言っていた。

私は迷惑なだけだった。

 

だから辞めるに時にも

素直に「じゃぁね」

という訳にはいかないだろうな

とは思ったので強硬に無理やり辞職した。

 

そして、以前から興味のあった

海外を旅する

ということをしてみた。

 

まずはカナダ。

 

ここに家庭教師が英語を教えてくれるプログラムがあったので

ホームステイをしながら勉強した。

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本来であれば、

自分が海外で英語を勉強をするという夢

が叶ったのだから嬉しいはず・・・なのだが

 

全然うれしくなかった。

 

楽しくなかった。

 

ホームステイ先の隣の部屋に韓国人の子が

同じようにホームステイをしていた。

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その子が随分いい奴で結構面倒をみてくれた。

 

それは有難かった。

 

しかし、旅行中に感じたことは

 

旅先はどこでも良い。

どこに同行っても同じだ。

 

ただ、

自分の愛する人

信頼できる人

 

そういう人と一緒に旅行して

楽しみを共感し、分かち合わなければ楽しくもなんともない。

 

ということに気がついた。

 

そしてカナダでの2か月の勉強が終わったので

今度はフィリピンに1か月間行ってみた。

 

なぜフィリピンかというと

私は以前からフィリピンの子供に学資援助をするプログラムに参加しており

せっかくだから今年援助している子に会ってみるか、と思ったからだ。

 

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行ってみると周りの参加者は大学生ばかりで

場違いでお呼びで無い雰囲気もあったが、これはこれで良かった。

 

英語でフィリピンの子と話すのは、それはそれで面白かった。

 

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そして、日本に帰ってきた。

 

さて、日本に帰ってきたからと言って、今度は仕事がある訳でもない。

どこかに就職するにも特にやりたいことも資格もある訳では無い。

 

半年ほど家にこもってゲーム三昧の日々だった・・・

 

そうしているうちに次の年度が迫ってきた。

 

そこで子供の時に憧れていた大工勉強することにし

職業訓練校に行ってみた。

 

これがかなり楽しい!

 

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今まで職場で命令で”行かされた”ことはあっても

自分の希望で学校に通って勉強をしたこと等なかったので

学ぶことがこれほど楽しいとは思いもしなかった。

 

そのまま大工にならないか

という誘いも遠くであったようだけれど

私はせっかくなので、設計と造園の勉強もしたかったので

大阪の専門学校に行くことにした。

 

なぜ大阪かというと

今まで長野と東京くらいしか行き来したことが無いので

せっかくなので”関西人”という人種と交流してみたかったのだ!

 

大阪の学校に入ると

私の隣にはヤクザが座った。

 

私は思った。

「母さん、スミマセン。

私は夢を叶えるために大阪に来ましたが私の隣の席はヤクザです。

もう故郷に帰れないかもしれません」

 

しかし、話してみるとそいつがこれまたスゲーいい奴だった。

 

体の不自由な弟さんの面倒をみながら

母子家庭でお母さんを助けながら頑張っている奴だった。

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※↑この写真を見て頂ければ私がそう思ったのも仕方がないと

納得して頂けるかと思います。

 

もちろん、18~26歳くらいの学生ばかりのなかで私の様な年上の存在がいると異質。

 

ですが、大阪の子たちは結構気を気を使ってくれる優しい子たちが多かった。

 

そこで2年間の勉強を終え、今度は造園の学校に行こうと思ったのですが

さすがにここで、そろそろ働かないと外聞が悪いので

田舎にかえって就職することにしました。

 

つづく

 

 

子供の親権は母方へ

自分は、他人を貶めて利益を得る様な恥知らずで

程度の低い人間では無い。

 

そう心に思いながら、1年以上経った。

 

子供の親権が母親と決まったので

もう、お金は要らないからさっさと縁を切りたい!

 

そう思っていた私は、協議離婚で離婚届にサインをした。

 

慰謝料に200万円もらえようと、300万円もらえようと

どうでも良かったのだ。

 

ただ、子供の親権だけが問題で、

あとは、こんな薄汚い性根しかもっていないクズの様な人間とは

一瞬でも早く縁を切りたかったからだ。

 

長らく離婚問題で苦しんでいたせいもあってか

離婚が成立すると、

 

禊(みそぎ) が終わった、

そう感じた。

 

禊(みそぎ)とは、あなたもご存じのように

汚い穢れを払うこと。

 

実は日本神話を詳しく調べて頂ければお分かりいただけるのですが

禊には二つの意味合いがある。

 

一つは、水注ぎ

水でキレイに洗い清めるという意味。

 

二つ目は、身削ぎ

汚い穢れた部分を自分の健康な部分ごと削り取ること。

 

私は、離婚をして妻との縁が切れた時に

禊ぎ(身削ぎ)が終わった・・・

 

そう感じた。

 

元々妻は友人と付き合っていた彼女で、

友人を放っておいて、サイパンに遊びに行って

そこで楽しく男の子と遊んでいたので

愛想をつかされて捨てられたのだ。

 

ただ、友人がそうはいっても気になったようで私に

時々様子を見に行ってくれ

というので、相談に乗っていたら段々私が可哀想に感じてきて

付き合って結婚してしまったものだ。

 

つまり、始まりは同情心。

 

何とかこの不名誉な娘を幸せにしたい!

 

そういう気持ちで結婚したのだけれど

やはり、同情心からでは限界があったのか

次第に夫婦の心に距離ができはじめ

気がついたら、相手が浮気をしていた訳だ。

 

自分が全く無罪でこのような結果になった訳では無い。

夫婦の問題だから、夫である私に原因があったと言われれば、確かにそうだ。

 

夫婦であり一家の大黒柱なのだから

相手への管理不足、と言えば言えてしまう。

 

そう反省しながら、今後は、

もう下手な同情心は2度と持つまい。

 

離婚問題の間によくこんなことを考えた。

 

私は、こんな風に汚い人間に非難中傷されて

いたずらに自分を落とし得られるために

この世に生まれたのではない。

 

良いことをして、

人を幸せにして、

笑顔にする為にこの世に来たのだ。

 

みんな誰でも良い部分と悪い部分がある。

 

相手の欠点や悪い部分だけを

非難し、ダメだしすることは誰でもできる。

 

だけれど、今後は相手の良い部分と上手に付き合い

誰とでもみんなで仲良く、笑顔で付き合っていきたい。

 

そう思った。

 

誰とでも仲良く、

みんなで幸せで笑顔の世界。

 

これって良くない?

 

だから、素直にそうなりたいと思った。

そうできる自分になりたいと思った。

 

もちろん、人間だから別れた妻の様なゲスな人間には

なかなかそうできないだろう。

 

でも、みんなと良い関係を作って

幸せな和を作っているうちに

そのうち、そういう良くない方達とも

上手に仲良くできる日もくるだろう。

 

今度こそそういう人間関係を作りたい。

 

それがこの離婚問題を通しての

私が得た答えだった。

 

もう一つ

この離婚問題を通して知ったのは

友達はまったく当てにならぬ

という事だった。

 

離婚問題の最中、今まで

この人は自分の親友だ

と思っていた人はみんな私を避けた。

 

別に妻との裁判で何かしてくれ!

という訳でもない。

 

確かに、会えば私が問題を抱えているから

と気も使ってしまうだろう。

 

ただ、私としては、

ただでさえ落ち込んでいているので

せめて友人とは、一緒に山に行ったり

お酒を飲んだり気晴らしがしたかったのだ。

 

けれども、変な気の使われ方ばかりで

結局、一人ぼっちだった。

 

そんな時に、それでもいつも気にかけて

協力してくれたの両親だけだった。

 

 

だから、今では世の中の人は所詮は他人。

 

そう思っていれば相手に期待も掛けないし

初めから期待しなければ相手に裏切られる事も無い。

 

自分は他人に何か良いことをしても

相手には一切期待をしない

 

そういう生き方にしようと思った。

 

つづく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

調停~離婚裁判

前にも書きましたが、離婚裁判は全く進まない・・・

 

どうも調べてみると、離婚裁判で最後の最後までやり抜いて

離婚する方というのは意外と少ないらしい。

 

途中で和解したり、協議離婚という形にして

離婚するケースも結構あるようだ。

 

私も離婚申し立てから1年以上、遅々として話が進まないので協議離婚にした。

 

相手が不貞をしたのだから、こちらに多少過失があっても

慰謝料が取れるのは間違いないのだけれど

そこが問題では無かったからだ。

 

子供の親権のみが問題で、正直に言うと

お金を払ってでも分かれてくれ!

と思っていた。

 

私は一家の主としての立場から

大枠としてはもちろん責任はあるだろう。

 

だけれども、自分(妻)が浮気をして

「貴方のせいです。慰謝料貰います!」

と言うのだから、???だ。

 

子供を妊娠する前から、また、

妊娠してからも不倫相手との性交渉をしておきながら・・・

 

こちらにしてみれば完全に

え?

としか思えなかった。

 

完全に無駄だろうな、としか思えなかった離婚調停。

裁判に移行するには必ず行わないといけないそうだ…

 

そして子供に会えずにまた1か月間

ただ時間が過ぎる・・・

 

意見書を提出する。

これも1か月に1回程度。

 

相手がこう言ってきた。

反論する。

 

そんな文書の流れが月に1回づつ遅々として進む。

 

そして、子供の親権に関する判定は

「子供は既に6か月以上母親のもとで安定した生活を送っており

今次点で無理に現状を変えるのは好ましくない」

母親の親権が妥当、というものだった・・・

写真より004

妻に浮気の告白をされてから

離婚するのか

それとも許して関係を修復するのか

悩んだ。

 

けれど、少しでも自分の責任を他人に押し付けよう

逃れようとする妻の言動は、全て

嘘や誤魔化しばかりだった・・・

 

素直に正直にすべて告白して

申し訳ありませんした。

でも、まだあなたと一緒に居たいのです。

どうか許してください。

 

と言ってくれれば、多分、結果は違ったと思う。

・・・と思う。多分。

 

けれど、謝りながらも嘘が見え隠れし

あとで実際に嘘だとわかることがポツ、ポツ、ポツと出てくると

全く信用ができない。

 

そして、離婚調停へ移行し、離婚裁判に至った。

 

その間、私は胸に太っとい槍を刺された気持だった。

それも背後から。

 

そしてその槍を抜かれた大穴から

常に自分の血やエネルギーがダダ漏れしている感覚だった。

 

しかも、それが自分が守ってきたと信じたかった

妻に刺された結果なのだ。

 

この期間、私ずっと苦しかった・・・

 

何故、この世の中は、

こんな風に好き勝手にやりたい放題する人間が

裁判で主張を認められ、

 

苦しくても我慢

ガマン

我満

がまん

と常に自分を抑えてきた自分の主著が通らないのか?

 

悔しくて心が涙の海だった。

 

どこかに出かけても

小さい子供の泣き声がすると子供を思い出し、

 

誰かが結婚して子供が生まれると

とてもまぶしく、反面自分はつらかった。

 

何も知らない親戚や知り合いは

親切心から「お子さんに」と言っては

本や服をくれた。

 

その間の

・惨めさ

・情けなさ

・悔しさ

・やるせなさ

は筆舌し難い。

 

浮気をされた方が

親権争いで負けたのだ・・・

 

この世に正義などない。

ある筈がない。

 

この先は、日本の裁判所は敵だ。

 

私から税金を取っておきながら、

正しい判決を下せない税金泥棒どもを養っている税務署も敵だ。

 

日本でクーデターを起こそうかと思った。

 

自暴自棄で皆殺しにしようかと思った。

 

しかし、妻からの意見書で嘘八百を並べ立てられ

気づ付けられ続けた時に思った。

 

私はこんなゲスな人間に貶められるような人間じゃない。

 

だって、相手がどんなに嘘を言っても自分はやってないし

子供が心に創を追わない様に全て手順を守って、

我慢し自制しながら耐えている。

 

(今、書いていても泣けてきた)

 

私は、こんな嘘で塗り固めたような人間とは

違う次元の存在でなければならない。

 

他人を貶めて利益を得ようとするような

最悪に低いレベルの人間と

同じレベルで争ってはいけない。

 

そう思った。

 

つづく